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八幡様と俳句 |
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2009年01月13日
1月11日は、時間を間違って、一時間早く八幡様に来てしまった。 ![]() 此処に、板が並んでいるのは知っていた。 しかし、それに俳句が書かれているとは全く知らなかった。想像もしなかった。 しかも、その一番右上の端に、親父の俳句がある!驚き! ![]() 更に驚くのは、三十五人もの村の人が俳句を書いていること! こんなに、村に俳句が根付いていようとは、思いもしなかった。 親父も素晴らしいが、村のみなさんも素晴らしい。 う~ん、月並みだが、仁ノ村最高! 仁ノ村に生まれて良かった~!! |
伝説の偉人 |
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2007年12月28日
堤西端の三叉路に忘れてはいけないものを発見した。 ![]() 今日の主役は、上の写真の左の白い台の上に乗っかっている。 それがこれだ。 ![]() 私の祖父は三人兄弟だ。祖父が長男で、松崎郷美さんは次男だ。三男の方は妻子があるのに、太平洋戦争で28歳で応召された。そして、戦病死した。28歳で出征した場合、若い時に比べ、戦死率は飛躍的に高くなるのではないかと思う。妻子があることも考えると、非常に腹が立つ。更に、私の父も召集されている。父は生還したが、一家族から二人も戦死者を出したかも知れないと思うと、余計に腹が立つ。 話が横にそれてしまった。 松崎郷美さんは吾が村の立志伝中の一人だ。昭和元年(1925年)に株式会社丸美屋を創業した。現在の丸美商事株式会社だ。今でも、小学生が郷土の研究で郷美さんを調査に来る位だ。 成功者として地元に寄贈をよくしてくれた。吾が地区の公民館もその一つだ。現在の公民館は、それを建て直したものだ。 この石碑にある昭和35年といえば、私は小学五年生だ。この当時のマイクは貴重だったと思う。随分役に立ったに違いない。 吾が家系は、吾が息子どもを見ても、やはり経営の血筋のように思う。いや吾が家だけでなく、吾が家を含めた一画の五軒ほどにそれが言える。何せ社長とか会社役員が、合わせて四人も出ているのだから。偶然と言えば偶然、必然と言えば必然。歴史がかもし出す不思議と言っておこう。 |
夏の外輪別堤 |
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2007年09月02日
2006年1月13日に「外輪別堤」でブログしている。再登場だが、今日は夏の外輪別堤だ。 ![]() 例の森は手前の茂みに隠れている。上の端に緑の濃い部分がちょこっと見えるが、それが森だ。 次は南から写す。撮影地点は、最南の途が西に延びる地点辺りだ。 ![]() この画面の後方、左手に例の森がある。 |









