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2010年09月
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八幡様と俳句

1月11日は、時間を間違って、一時間早く八幡様に来てしまった。
そこで、日ごろは余りじっくり見ない、本殿の北側を見た。
そうすると、びっくり。
俳句を書いた板がびっしりと並べられている。

俳句

此処に、板が並んでいるのは知っていた。
しかし、それに俳句が書かれているとは全く知らなかった。想像もしなかった。
しかも、その一番右上の端に、親父の俳句がある!驚き!
親父の俳句

更に驚くのは、三十五人もの村の人が俳句を書いていること!
こんなに、村に俳句が根付いていようとは、思いもしなかった。
親父も素晴らしいが、村のみなさんも素晴らしい。
う~ん、月並みだが、仁ノ村最高!
仁ノ村に生まれて良かった~!!

日時: 2009年01月13日 | 史跡 | | コメント (0)

 
伝説の偉人

堤西端の三叉路に忘れてはいけないものを発見した。
写真は三叉路を西から写したもの。正面の電柱の手前が桜の木だ。その右隣が昨日紹介した栴檀(せんだん)の木だ。桜の木の葉が、見事に赤く染まっている。

堤西端三叉路

今日の主役は、上の写真の左の白い台の上に乗っかっている。
それがこれだ。
松崎郷美石碑

私の祖父は三人兄弟だ。祖父が長男で、松崎郷美さんは次男だ。三男の方は妻子があるのに、太平洋戦争で28歳で応召された。そして、戦病死した。28歳で出征した場合、若い時に比べ、戦死率は飛躍的に高くなるのではないかと思う。妻子があることも考えると、非常に腹が立つ。更に、私の父も召集されている。父は生還したが、一家族から二人も戦死者を出したかも知れないと思うと、余計に腹が立つ。
話が横にそれてしまった。
松崎郷美さんは吾が村の立志伝中の一人だ。昭和元年(1925年)に株式会社丸美屋を創業した。現在の丸美商事株式会社だ。今でも、小学生が郷土の研究で郷美さんを調査に来る位だ。
成功者として地元に寄贈をよくしてくれた。吾が地区の公民館もその一つだ。現在の公民館は、それを建て直したものだ。
この石碑にある昭和35年といえば、私は小学五年生だ。この当時のマイクは貴重だったと思う。随分役に立ったに違いない。
吾が家系は、吾が息子どもを見ても、やはり経営の血筋のように思う。いや吾が家だけでなく、吾が家を含めた一画の五軒ほどにそれが言える。何せ社長とか会社役員が、合わせて四人も出ているのだから。偶然と言えば偶然、必然と言えば必然。歴史がかもし出す不思議と言っておこう。

日時: 2007年12月28日 | 史跡 | | コメント (0)

 
夏の外輪別堤

2006年1月13日に「外輪別堤」でブログしている。再登場だが、今日は夏の外輪別堤だ。
例の三叉路から集落「浜」まで外輪堤が延びている。何故「外輪」と言うのか。それは東の集落「間」から西の本村の八幡様まで、堤が仁ノ村の集落を守るため走っている。その堤から外側に延びているので外輪堤と言う訳だ。更にその外輪堤から延びているのが外輪別堤だ。
外輪別堤は外輪堤の途中、即ち元農協仁ノ支所の南入り口から南に黒潮バイパスまで延びている。
北から望んだ写真がこれだ。

夏外輪別堤
長さ145m、高さ1.7mで、水門が一ヶ所ある。道幅は1.8m足らずだ。前回も書いたが、犬との散歩の時など、少し危なっかしい感じがする。
例の森は手前の茂みに隠れている。上の端に緑の濃い部分がちょこっと見えるが、それが森だ。
次は南から写す。撮影地点は、最南の途が西に延びる地点辺りだ。
夏外輪別堤
空の青さもよし。
この画面の後方、左手に例の森がある。

日時: 2007年09月02日 | 史跡 | | コメント (0)