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2010年09月
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南海地震 | メイン
仁ノ防災フェスティバル

昨日、本村で仁ノ防災フェスティバルを開催した。
仁ノ村全体でするのは初めてだ。
高知放送、テレビ高知、SUNSUNの三社も、取材に駆けつけてくれた。
昨日夕方のテレビは、村の人はこの三チャンネルのハシゴとなったようだ。
内容は、午前中は講演と六十年ほど前の古いニュース映画。
午後は災害体験と消火訓練。
講演は高知新聞企業刊「南海地震は予知できる」の著者で、
宇佐在住の中村不二夫さん。

中村不二夫さん

地震は突然襲って来るのではない。自然は地震を確実に準備している。
だから、その準備過程で、必ず何らかの予兆がある。
だいたい一週間前ほどから様々な異常が見られ、
地震が起こる11時間前から、宇佐では急激な引き潮が起こる。
地震は予知できると確信を深める。また、予知しなければならないと強く思う。
中村さんが表を示しながら、
「私はこれで昭和南海地震を再現できた」と言ったのが印象的だった。
それと、宝永・安政・昭和の南海地震は、
その大きさが大・中・小となっている。その順番から単純に言うと、
今度の南海地震は宝永南海地震級の大地震になる可能性がある。
ニュース映画は昭和南海地震の惨状、チリ津波の被害等。
午後の災害体験は起震車による地震体験と、煙体験。
起震車は前にやっているので、煙体験にチャレンジ。
煙体験

まこと、何にも見えん。これは恐怖だ。
声でもかけてもらえないと、進行方向が全く分からない。
お昼休みに紙芝居をした。なかなか好評だった。
と思う。
テレビにも映ったようだ。残念ながら、
私はフェスティバルが終わった後、疲れて爆睡していて見れなかった。
スタッフの皆さん、本当にご苦労さまでした。
これで八月のイベントは全て完了。
昨日はしばし放心状態だった。
今年の八月は、イベントがいよいよ盛り沢山だった。
写真機がおかしい。ピントが合わず、中央以外はぼけている。
上の画像は、フォトショップでかろうじて修正できたもの。
修理にキタムラに持って行かないかん。
八月は忙しかった割に、ブログが少なくなってしまった。
明日からは九月だ。これからはつるべ落としだ。
早この一年も終わる。

日時: 2010年08月31日 | 南海地震 | | コメント (0)

 
ソメイヨシノ植樹

今日、秀ちゃんと、津波避難場所の「ごりん様」に、
ソメイヨシノを三本植樹した。
その内一本には、既に桜の花が咲いていた。

ソメイヨシノ

三本は下の写真のように、階段状に植えた。
ソメイヨシノ

さあ、これで数年後には花見が出来るぞ。
ごりん様で、バーベキューか夜会をしよう。
後で、二人で反省会。
六十歳になって、こういうことでいいんだろうか。
う~ん、何と言うていいか。
しかし、馬鹿者たちが居てこそ、村がある!
結論その一。高度成長の最大の過ちの一つは、
若者が地元から離れたこと、そして農業を荒廃させたこと。
減反政策という農業政策はありえない。
そんなのは、農業政策なんてものじゃない。
結論その二。今度の南海地震と津波で、
吾が集落から一人の死者も出さないこと。
それが、吾らが残りの人生の最大課題だ。
それが達成できれば、吾らが人生に納得できる。
生きて良かったと。

日時: 2010年04月03日 | 南海地震 | | コメント (0)

 
津波警報

チリ地震の津波警報が、吾が仁ノ村と東隣の甲殿に出た。
津波到着予定が、午後三時とアナウンスされた。
それで、浜の直ぐ後ろの山に登った。これで高さ40mぐらい?
生まれて初めて登った。
だから、生まれて初めて見る景色だ。
水平線を狙って写して、固唾を呑んで津波を待った。

水平線

上空はヘリコプターと飛行機、
道はパトカーと消防自動車が行ったり来たり。
ちょうど、道をパトカーが走っている。
大きいところで2mの津波とアナウンスがあったので、
待つこと一時間、しかし、来ずじまい。
上の写真、あんな所に岩があんなにあったかなと思っていたら、
テトラポッタだ。ショック!
いつの間に、こんな姿になっていたんだろう。
子供の頃は、本当に綺麗な波打ち際だったのに。
本当にショック!!
津波は見れなかったが、吾が仁ノ村を、
今まで見たことがない角度から、見ることができた。
これは思わぬ大収穫!
仁ノ村

写真真ん中が吾が集落「仁崎」、左の長い集落が「本村」、右端が「間(はざま)」だ。

日時: 2010年02月28日 | 南海地震 | | コメント (0)

 
南海地震講演会

今日、春野町の森山公民館で、高知大学の岡本 真先生を迎えて、
南海地震講演会があった。
会場は、予定の七十名を越す参加者で一杯だった。
私の家からは、車で直ぐの所だ。

森山公民館

二時間の講演があっと言う間に終わった。
それだけ密度の濃い、緊迫感ある内容だった。
日頃、マスメディアから受ける情報に比べ、格段に現実味があった。
まず第一に強調されたのが、家の耐震診断だ。
地震対策のいろはの「い」で、これがないと、何を言っても始まらないとの指摘。
どうせ壊れるからという、ネガティブな思考では駄目とのこと。
寝室だけでも耐震補強をする必要を痛感。
早速、家内を説き伏せて診断をしよう。
次に、今度の南海地震は2025年までには終わっているとのこと。
国が言う30年以内に60%は、おかしいと思っていた。これは非常に納得。
今日仕入れた情報の中で、これが一番大きい。
そして、家の地盤を知っておくこと。
震度7だからと言って、全て7と言う訳ではない。地盤によって揺れは違う。
国土地理院発行の土地条件図で地盤を確認しておくこと。
春野の山は震度6弱、黄色の地域は震度6強、
注意しておかなければならないのは、旧河道だった場合。ここはほぼ倒壊。
ちなみに吾が家の地域は黄色。だから家は絶対に壊れる。
以下、講演の内容をまとめておこう。
まず、地震の揺れが始まるまでの心構えと対策。
①神戸の被災者の話。地震とは思わなかった。飛行機かダンプカーかと思った。
 興味深いのは、誰を助けようとしたか。決して隣の人ではない。
 自分が一番大切に思っている人、親しい人を助けている。
 日頃の親交の大切さ超実感。ご近所付き合い大事。助け合う関係を作っておくこと。
②揺れが始まるまでに何をしておくかが最重要。
 最初の一撃を生き残ることが眼目。 今度の南海地震では100秒、つまり1分40秒。
 家族がけがをしない生活を心がける。
 家族は絶対に家族を見捨てない。従って、一人のけがが悲劇的な結果を招く危険がある。
③命を狙っているのは、自分の家と家具。家がつぶれて、倒れて死んだ人がほとんど。
 二階は揺れが激しいが、つぶれるのは一階。木は曲げに弱い。10秒しか持たない。
 家は瓦の下の土が重たい。瓦の十倍重い。 
④家具は固定する。揺れが激しく、どうせはずれるというようなネガティブな考え方はしない。
 固定していなければ、最初の一撃でやられる。少しでも、持たすことが大事。
 引き出しは飛び出してくる。冷蔵庫のドアは開き、中の物が出て来る。
 空中を7m飛んだ墓石もある。
⑤寝室を守る。寝室に重たいものを置かない。
 重たい物は飛ぶ。テレビとか。 
 ガラスでけがをした人が多い。寝室に必ず靴を置く。
 今日から早速、スリッポン型の靴を枕元に置くようにしよう。
⑥誰が何処で寝ているか、寝室の確認。
 倒壊した家屋の一階の人に行き着くまでに4時間かかる。畳を切り開くのが非常に困難。
 位置がずれていると、最初からやり直しになる。命が助かるかどうかは最初の4時間。
⑦ストーブが消えても、熱ければ、引火する危険がある。
 土砂崩れの危険もある。春野町の山も、茶色の山肌が出る所もある。
 道の亀裂は、ぱくぱく開いたり閉じたりはしない。ゆっくり開いていく。
 震度5弱で冷蔵庫のドアは開き、電柱、ブロック塀は壊れる。
 玄関が開かない。バールは用意しておくこと。
 ビニールハウスはつぶれない。上から落ちてくる物もないから安全。
⑧自分がいいと思うことは、全てやる。
次に、揺れが終わったあとの対策。
①地震後、放心状態のため、次にすべきことは何も考えられない。
 津波のことを考えて、自分から逃げた人はいない。
 誰かが「津波が来るぞ」と言うのを聞いて、初めて逃げ始めるのが常とのこと。
 ラジオで震源を確かめる必要はありません。私達の下です。直ぐ逃げましょう。
②一輪車で70kgの人も運べる。道の亀裂、障害物があって、二輪、四輪より重宝する。 
 携帯電話は使えない。中継の塔が壊れているからだ。
③漢字で津波と書くけれど、津波は波ではない。何十兆トンの水の塊だ。
 高さ80cmの津波でも大きな車が流される。 春野町では8mの津波が予測されている。
 6~8時間内に繰返し津波は襲って来る。
 従って、大潮と必ず重なる時がある。大潮の時は2m程高くなるから要注意。
 地震で地盤は1m沈む。
④余震で夜寝られず、イライラがつのるので、高血圧の人は要注意。
 余震は3年続く。しかし、必ず小さくなって行く。
 一ヶ月以内に最大の余震がある。例外もあって、三ヵ月後に最大余震があったこともある。
⑤配給の各戸配布はない。だから避難所での生活が続く覚悟がいる。
 初日は我慢できても、次第に赤ちゃんの鳴き声、犬等に耐えられなくなってくる人が出て来る。
 配給の冷や飯も、初めはありがたがっていた人も、
 三日もすると、「いつまで冷や飯を食わせるつもりな」となる。
 それで、若い職員の中には、自殺者も出ると言う。
 「お互い様」、みんなが我慢し合えることが重要。
⑥壊れた家には、黄色か赤色の紙が貼られる。
 赤が貼られると、自分の家であっても入れない。
 黄色の場合は、消防団員の監視の下、1時間とかの時間制限で家に入れる。
最後に、南海地震豆知識。
過去四回を見てみると、南海地震は1605、1707、1854、1946(死者670人)年に起こっている。
年間6cm、100年で6m移動する。そして、我慢できなくなって、
100秒で一気にエネルギーを放出する。これが南海地震だ。
1946年の南海地震は規模が非常に小さく、放出されず残ったエネルギーが大きい。
このため、次に起こる南海地震は100年ではなく、80年で起こると予測されている。
そうすると、単純計算で2026年。
もう一つは、本番の地震までに周辺で規模の小さい地震が多発するという現象だ。
1995年兵庫南海地震、2000年鳥取西部地震、2005年福岡西方沖地震と
正確に5年おきに起こっている。これで行くと、今年2010年に何処かで起こるはずだ。
そして、2015年にまた何処かで起きる。その次の2020年が本番か。
結論、一人死ぬと大変。何としても生き残って行きましょう。
追伸:南海、東南海、東海の三つの地震が、三連動で、連続して起こった場合でも、
   揺れの大きさは変わらない。揺れには上限があり、震度7まで。震度9とかはない。
   しかし、津波は大きくなる。

日時: 2010年01月30日 | 南海地震 | | コメント (0)

 
自主防災活動

今日は、多分今年最後の自主防災活動をした。
作業は盛り沢山。
避難場所の炊事場の屋根作り、道の排水溝の土砂除去、倉庫整理、
将軍様とごりん様の間の連絡道作り、将軍様階段上り口の補修の計五つ。
これを、朝の九時から昼の十二時までに済ませる算段だ。
集結したのは男六名。
作業は、避難場所のごりん様に行く道の排水溝の土砂除去から開始。
避難場所の炊事場の屋根作りはご覧の通り。
これで、雨でも炊き出しができる。
とても、ずぶの素人の作とは思えない出来栄え。
職人が居りますなあ。

炊事場の屋根

将軍様階段上り口の補修を終えて、
最後は、将軍様とごりん様の間の連絡道作り。
私としては、これが念願だった。
こじゃんと難しいと思っていたが、やってみると、意外に簡単。
二人でしたが、あれよあれよと言う間に終わってしまった。
自主防災で用意したノコギリの切れるのには驚いた。
やっぱり道具は大事だ。
連絡道

写っている後姿の人物は、我が地区の自主防災の会長の秀ちゃん。
信じられないことだが、十二時に二、三分前に、全作業は終了した。
やっぱり、仕事師が集まると違うよ!

日時: 2009年12月13日 | 南海地震 | | コメント (0)

 
第5回南海地震避難訓練

今朝10時から12時まで、南海地震避難訓練をした。
正式名称は「第5回春野町仁ノ仁崎・間地区合同訓練」だ。
避難場所は将軍様とごりん様の二ヶ所あるので、
今回は場所を指定せず、各自の判断で避難してもらった。
結果、将軍様は8名、ごりん様は27名だった。
私としては意外だった。将軍様は高いのが嫌われたようだ。
そこで、ごりん様で以後の避難訓練をすることにした。

ごりん様避難場所

新しい県の担当者の方も来られていた。
また今回は、本村からも視察が来た。今後の取り組みの参考のためだ。
避難訓練で一番の楽しみは、何と言っても炊き出しだ。
炊き出し

今回のメインイベントは、倒壊した家屋から、閉じ込められた人を救出する訓練だ。
廃屋を利用して、人形を作って実施した。
そして、担架で運ぶ訓練もした。
担架は二人では危ない。六名は要るように思う。
それと、椅子が欲しい。六十を過ぎると、膝がたまらん。
とにかく、座りたい。
驚いたのは、和雄さんがごりん様の所の竹を全部切ってあったこと。
凄い。
間まですっきり見えて、見晴らしが抜群になっていた。
別宅を作りたい程。

日時: 2009年10月11日 | 南海地震 | | コメント (0)

 
五輪様階段舗装

昨日11月29日土曜日、五輪様の階段のセメント舗装をした。
朝8時半から午後2時過ぎまでかかった。26名が参加。凄い参加率だと思う。
地震への意識の高さが分かる。
三十年と言っていた時から、早十年近く経つ。
後二十年以内に、地震が発生するというわけだ。
私は参加できなかったので、今朝写真を撮りに行った。
まず上り口から。

五輪様階段

次は避難場から下向いて写す。
五輪様階段

去年までは、四つんばいになって登っていたのが嘘のよう。
素晴らしい。吾が集落は、着々と地震対策が進んでいる。
住民の組織的行動も、それと並行して進化している。素晴らしい。
重いセメントを上げるのは、大変だったと思う。本当にご苦労様。

日時: 2008年11月30日 | 南海地震 | | コメント (0)

 
堤防改修

仁淀川河口の堤防の改修がほぼ完了だ。手前が未だだけれど。
昨日、芝生を打っていた。随分立派になった。
綺麗だから、デートスポットにしてもいいくらい。前に広がる景色は抜群だし。
これだけ高くなれば、津波にも対応できるだろう。
越えて来たとして、被害をかなり抑えられるに違いない。

堤防

川岸に降りてみてびっくり。えらく高くなっている。
堤防

新しくなった堤防の道幅は7m近くある。広い。

日時: 2008年03月27日 | 南海地震 | | コメント (0)

 
将軍様・ごりん様避難所

2月24日の合同防災訓練に合わせて、両避難所に防草シートを敷き、物置の屋根に落葉保護ネットをかぶせた。
上の写真が将軍山、下がごりん様だ。

将軍山

ごりん様

これで、避難所はほぼ完成だ。
作業にあたって下さった皆さん、ご苦労様。
後は椅子と、夜間の非常灯。
しかし、地震が冬の1、2月だと厳しい。雨がそれに加わるとぞっとする。55歳過ぎていると、かなり体にこたえる。風邪を引くとアウトだ。薬とか防寒、防雨対策が必須だ。それに飲料水の確保と風呂。そう、風呂が欲しい!

日時: 2008年03月04日 | 南海地震 | | コメント (0)

 
ごりん様避難所

ごりん様の避難所がこんなに綺麗に整備されているとは知らなかった。
まずは上り口の手前からの写真。

ごりん様

将軍様と同じような階段と手すりが付いている。驚き。
立って歩けず、這って登ったのが嘘のよう。信じられない変わりよう。
避難場まで登って、下向いて写す。
ごりん様

階段は全部で49段。登りやす~い。素晴らしい。
どっかの公園のよう。散歩に丁度いい。本当に素晴らしい。
感謝々々。春野町もしかし頑張ってくれたなあ。素晴らしい。

日時: 2008年03月03日 | 南海地震 | | コメント (0)

 
第4回合同防災訓練(続)

2月27日の合同防災訓練の続きだ。
張ったテントの中で、炊き出しのおにぎりを食べながら記念撮影。はい、ポーズ。

ごりん様

話は変わるが、2月1日(金)に、東高校の生徒さん達が春野町の南海地震対策の視察に訪れた。その時に、吾が集落「仁崎」にも立ち寄ってくれた。私は残念ながら病欠。今年の二月は散々だった。一ヶ月の間に四回も風邪を引いてしまった。四回目は未だ現在進行形だ。
その折のごりん様での写真が次だ。
ごりん様

TV局まで来ている。驚き。

日時: 2008年03月02日 | 南海地震 | | コメント (0)

 
第4回仁崎・間地区合同防災訓練

2月24日(日)に、第4回仁崎・間地区合同防災訓練があった。私は残念ながら病欠。
場所は将軍山の北側の「ごりん様」。ここも将軍様と同様、立派な避難場所が完成している。
そこで今回の訓練の場所となったわけだ。
訓練は朝10時から昼の12時半まで。午後1時からは公民館で耐震相談会が開かれた。
10時にサイレントと避難の放送。40名の住民が集結。仁崎の一番早い人が1分、間は7分。平均では5分。ほぼ15分で集合。

ごりん様

テント張りと炊き出しを行う。
テントはご覧のよう。
ごりん様

後は発電機、チェーンソー、担架等備品の使用訓練。
仁ノ地区の津波は18~30分で来て、高さは6m。最大は第二波。覚えておこう。
そうそう、一日の六割は家に居るとのこと。従って、自宅で地震に遭う確立が高いとのこと。

日時: 2008年02月27日 | 南海地震 | | コメント (0)

 
第2回春野防災ネットワーク会

今日、春野町役場のあじさい会館で第2回春野防災ネットワーク会があった。
内容は家屋の耐震についてと、マルニの地震対策用品説明。
一番驚いたのは、電柱が根元から倒れるのではなく、途中から折れて倒れると言う話。
阪神淡路大震災では6500人の死者の内、92%が圧死。内444名は未だ生きている段階で火災にあったそうだ。想像はしていたが、恐ろしいことだ。合掌。
写真はホームセンター「マルニ」の説明風景だ。

地震対策用品説明

次はガラス飛散防止フィルムの実演の写真。
ガラス飛散防止フィルム

割れたガラスが下に落ちるのではなく、横方向に飛び散るというのがやっと実感できた。テレビも横に飛ぶわけだ。
地震対策では①家屋の耐震、免震、制震 ②避難場所の確保 ③防災訓練・防災グッズ準備 ④食料品・医薬品等の備蓄 ⑤地震予知 など考えてきた。しかし、阪神淡路大震災を経験した方が、「家具の固定抜きの地震対策は地震対策ではない」というのをテレビで見た。
確かにそうだ。死者の92%が圧死なんだから。
今までの地震対策は、自分が生きているという事が前提になってしまっている。地震が起こっての数分間に、五体満足で生き残る対策が不可欠だ。
家具の固定・窓ガラス飛散防止を徹底しよう。まず家族が生き延びないかん。

日時: 2007年12月02日 | 南海地震 | | コメント (0)

 
07避難訓練余談

今回の避難訓練は、大変楽しかった。何故かって?それは勿論おむすびが食べれたから。
キャンプと同じで、炊飯はやっぱり盛り上がる。で今日は、炊き出しの内の二枚を紹介だ。
女性陣がおむすびを握る。大勢でこんなことをするのは今日では村でもそうない。

避難訓練
握ったら直ぐみんなに配る。みんなが頬張る。旨い、うまいで皆わきあいあい。
避難訓練
村はやっぱりこれじゃないといかん。
しかし、ここで一つ真面目に考えた。今までの避難訓練は、家の倒壊をまぬがれたことを前提にしている。村では地震の時、外に出れば命は助かる。高い建物はないからだ。
しかし、しかしだ。今度の南海地震は弱い揺れの余震が25秒あると言う。その間に外に出る訓練をしていないと何の意味もない。弱い揺れでも揺れている状況下、即反射的に外に飛び出る訓練も必要だ。


日時: 2007年05月15日 | 南海地震 | | コメント (0)

 
07避難訓練

今日は予定通り南海地震の津波避難訓練があった。時間も午前10時から午後12時半まで、後片付けまでが時間内に完了した。これは優秀!
場所は新しくなった将軍山だ。44名の参加だ。参加率は37%。軒数にすると74%の参加だ。各戸が誰か一人は出ようとした結果だと思う。意識は高い。休みにもかかわらず、役場の方が二名も参加されていた。ありがとうございました。

避難訓練
訓練内容は①担架運び②テント張り③羽釜での炊き出し④発電機と照明等の使い方だ。
三升炊きの羽釜に三升入れて炊く。ものの15分ほどで炊き上がった。これには全員驚きの声。「早~い」。キャンプではよく飯を炊いた。その時はほぼ20分だった。しかし、三升もの量が15分で炊き上がるとは思っていなかった。
避難訓練
しかし、一部炊けてないことが判明。原因は水が少なかったこと。それと、三升炊きに三升はちょっときついか。もう一度炊いて、今度は完璧。おむすびがうまかった。子供の頃に食べた飯の匂いがした。う~ん、飯の匂いだ。
テント張りは手間取った。しかし、一度立てると後は楽勝でしょう。多分ね。
担架運び、発電機始動、照明、どれをとっても初めてはやはり勝手が分からない。一度は経験しておかなければ駄目だと痛感。
今後の課題。①椅子②テントの床の雨水対策③トイレ等。
トイレは避難場所の直ぐ隣に作ることにした。
後は訓練をより条件の悪い時、例えば夜間、早朝、冬等にする必要がある。

日時: 2007年05月13日 | 南海地震 | | コメント (0)

 
避難訓練対策会議

今晩、仁崎・間自主防災組織の会があった。場所は例によって、私の家の隣の公民館だ。
議題は第三回避難訓練だ。5月13日(日)午前10時から午後12時半に実施する予定。雨天順延だ。

自主防災組織

新しくなった将軍様での初の訓練になる。
訓練内容:①テント張り ②発電機の扱い方 ③チェーンソーの使い方 ④炊き出し ⑤けが人対策等。
備蓄予定の一部を紹介しておこう。
保存食

水は名前が泣かせる。「いのちの水」。「私は純水です」は笑わせる。ミルクビスケットはなかなかうまい。
前にも書いたが、訓練を重ねる毎に生存の確率が高まることを実感する。がんばるぞ!

日時: 2007年04月28日 | 南海地震 | | コメント (0)