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2010年09月
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となりの花屋さん | メイン
皿洗いと桜観賞と燕飛来

今日、午後五時半頃、レトと散歩に出ようとしていると、
さっと車庫に飛び込んで来て、綺麗にUターンして行った一羽の鳥がいた。
今年初めて見る燕だ。
総入れ歯、いや失礼、そう言えば、
二、三日前に、堤の南の藪で、鳥の鳴き声がえらいしていたが、
どうも、あれは燕の鳴き声だったに違いない。
燕の群れの飛来を見たことがない。
早朝に来るのだろうか。いつか、死ぬまでに見たいものだ。
以上、具体的な一羽の鳥から、時空を隔てた音像を連想したお話し。
こんな芸当をしているのは、右脳にちがいない。左脳では出来ない。
堤の桜が徐々に開花している。
今年の堤の桜は、例年以上に、美しいような気がする。
花の色に、つやを感ずる。
そして、枝に咲いた花の並びが美しい。
桜の花を観賞する時、枝に注目して見ると、
花がより美しく見える。
桜の木の枝は、真下から見ると、何層かの層の重なりになっている。
横からも意識して見ると、層になっているのに気付く。
堤の桜だと、二段から三段だ。
この層を認識して桜の花を見ると、花の美しさが際立つ。
一種の3D効果だろうか。
以上、空間を層状に認識した映像のお話し。
この芸当も、右脳の技だ。
最後に、家事労働の一大イベントの一つ、皿洗いに付いて。
家事労働という言葉は、苦行と置き換えてもよいほど、イメージが悪い。
その中でも、皿洗いはワーストの方だろう。
私もいつの歳からか、皿洗いをするようになった。
皿洗いをするようになって、一番先に気付いたのが、
病気であっても、皿洗いは毎日必ずせないかんということ。
吾がおふくろも含め、世の女性は大変だったんだなと、痛感した次第。
しかも、今は蛇口をひねれば、いとも簡単に温度調節ができるお湯が出る。
こんなものがない時代、冬は皿洗い大変だったろうと、これも痛感。
この苦行を楽しくなる工夫を、口に出さないだろうが、みんな色々しているだろう。
例えば、いい香りの洗剤を使うとか。
さて、私だが、皿洗いはどちらかと言えば、大好き。
ゴチャゴチャの食器が片付い行くのを見るのは、実に頭がスッキリする。
私の皿洗いの流儀はこうだ。
流儀は、プロフェッショナルの専売特許ではない。
主夫(「しゅふ」で変換すると「主夫」が出てきたので驚愕!)見習いにもあるんだぞ。
高度の専門性が要求される分野だけじゃなく、歴史に一筆も多分書き残されない、
何処でも、毎日繰り返されている、日常のささいな営みにも、流儀はあるんだ。
前置きが長くなった。私の皿洗いの流儀は、
①就寝一時間前に、取り掛かる。これで、心を就寝モードに変換する。
②大きいお皿から、小さいお皿、どんぶり、お茶碗と進み、
  お箸、スプーン、杓子類へ移る。
  そして、コップ、湯飲み、最後に鍋、フライパンで終わる。
  ③お箸がターニングポイントで、これで目どが一つ付く。
  それは何故かと言うと、お箸までは食器類が山になっていて、
  皿洗いの対象が、立体即ち三次元の状態になっている。
  しかし、お箸に移る段階で、ほぼ平面即ち二次元になっている。
④そうそう、忘れていた。
  最後の最後は、お米を研いで、炊飯器をスイッチON.。
  これで、本当に終了。後は寝るだけ。
私の皿洗いの流儀をまとめると、次の二点だ。
①皿洗いを日常生活の、変換点に自分で勝手に位置づけること。
②皿洗いは左脳ではなく、右脳ですること。つまり、こういう風だ。
 皿を一枚いちまい洗うのではなく、立体を削って平面にし、
 更に削って点にすると言う訳だ
最後に一言。
皿洗いをしていると、犬と散歩しているのと同じような、無の状態になる。
土佐犬ジョンとの七年半、ほぼ毎日二時間から二時間半の散歩をした。
している時は、こんなことしていていいのかなと、不安に思っていた。
しかし、今にして思う。この無の状態の蓄積は、心の宝物です。
無というのは、何にも無いということを意味していない。
無と言う何かがある状態を、無と人は言うのだと思う。