お花紹介☆ペチュニア |
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2007年08月31日
松崎農園では、たくさんのお花を育ているので、少しずつご紹介していこうと思います。 ![]() ![]() |
07八月考 |
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2007年08月30日
八月も後一日、明日のみになった。八月が過ぎると、十二月までが本当に早い。あっという間にクリスマスになる。そういう感じだ。 ![]() 八月初旬には、側溝は水が底をついていた。アメンボウは小さな水溜りに、可哀相に押し合い圧し合いしていた。しかし、現在は田植え時期と同様に、水が満々と流れている。アメンボウも元気に泳いでいる。しかも沢山。今年はアメンボウの豊作の年だった。アメンボウには、豊作と言う言葉は失礼かもしれないが。 自然と人間の活動は本当にリンクしている。今年は第一回目の田役は台風で遅れたが7月22日(日)、二回目は8月19日(日)にあった。そのせいもあり、堤は写真のようにたたずまいが美しい。 自然の衣替えのお手伝いを人間がしているようなものだ。 私はあじさい園の紫陽花の剪定を、今年は汗だくでした。紫陽花は9、10月に花芽を形成するからだ。昨年は10、11月に剪定したから、花が付かなかったはずだ。げに知らないと言うことは恐ろしい。 一月から八月までの活動を収束させるのが九、十、十一月だ。十二月はそれを楽しもう。そして次の一年を展望しよう。 一年の内で八月の持つ特別の意味を、深~く考えた今年の八月でありました。 |
真夏のハウス |
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2007年08月27日
真夏のハウスは暑すぎます(汗)なので・・・お花に水をあげても、あげても、すぐに土が乾いてしまいます。潅水は真夏で一番大事なお仕事です。やっぱり、暑い時は人間も花も水分補給が大事ですよね。 ![]() ![]() |
07高岡花火大会 |
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2007年08月25日
今日は高岡の花火大会だ。 ![]() 先日、宇佐の花火も見に行った。飛陽は、余りの音の大きさに初めはびびっていた。しかし、それにも段々慣れて、最後まで花火を見た。 従って、今日は誕生以来三度目の花火と言うことで、飛陽もすっかり慣れっこだ。花火が咲くと、指差して喜んでいた。あれから早一年が経った。飛陽を抱っこして歩いたが、ずっしりと重い。来年は一人で歩いて行くに違いない。 例の如く三世代、八人で見に行った。うちは何処かに行く時、大挙してもぶれるように行く。 ![]() これは堤防の下の方から、高いたかいをしてもらっている飛陽を写した一枚。結構気に入っている。 |
八幡様南低地帯(続) |
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2007年08月24日
8月21日ブログ「八幡様南低地帯」の二枚目の写真の撮影地点から、南の方を写す。 ![]() 画面左の緑の濃い部分が例の森だ。森にしては小さいが、そうかと言って樹が沢山生えているではもの足りない。然るに由って「森」だ。 堤防と空の境が美しい。くっきりと直線で分かたれている。 更に南東方面にカメラを向ける。 ![]() 次回は外輪別堤あるいは例の三叉路辺りまで、東に進んでみよう。 |
八幡様南低地帯 |
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2007年08月21日
仁ノ村最南の途が、八幡様南の低地帯を東西に走っている。これが先日までのお話。 ![]() ![]() この辺りは今時分が一番いいように思う。空の色もいい。 |
昭和三十年代望郷 |
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2007年08月19日
副題は「仁ノ村最南途のビニールハウス」。仁ノ村最南の途の北側に、昔懐かしいビニールハウスを見つけた。私が小学生時分は、この規模だったように思う。でも、この頃ビニールハウスと呼んでいたかどうか定かではない。温床ではなかったかとも思う。 ![]() 段々記憶がよみがえって来た。この高さになる前に、大人の腰の高さほどの温床があったように思う。保温の為に、わらで作ったカバー「むしろ」を掛けていた。そうそう屋根は丸くはなく、への字型だった。 むしろ掛けをよく手伝わされた。子供なので、むしろが向こうの屋根まで転がらない。そこで長い竹を使って向こう側へ転がした。 正面の戸口が懐かしい。こんな風だった。赤いトマトも見える。これも懐かしい。摘み残された、真っ赤な熟したトマトを食べるのが楽しみだった。 例の如く木の梯子も見える。 この写真は西側からのものだが、東側からも写しておこう。 ![]() 八幡様から堤を越えた南の低地帯は、このように昭和三十年代前半の風景が残っているように思う。 昭和24年(1949年)生まれの私達は、小学の学年が覚えやすい。昭和31年(1956年)が小学一年生、そして勿論昭和36年(1961年)が小学六年生だ。 昭和35年(1960年)高度経済成長が本格化し、日本は農村型から重工業中心に大転換して行く。そう、その昭和35年以前の姿がちらほら垣間見える。 |
三十而立 |
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2007年08月17日
今日8月17日は長男の嫁さんの三十歳の誕生日。 ![]() 製作は桟橋の「デリス」さん。TEL 831-7676です。是非召上って見て下さい。ファンになること請け合い! 一緒に居た飛陽のいい写真が撮れたので載せておこう。君のお母ちゃんが三十歳の時、君は一歳八ヶ月。君は今はお母ちゃんべったりの甘えん坊。でもいつか、君がお母ちゃんの応援団長になる日が来るんだからね。 ![]() 私も29歳で結婚して、今後は高知で人生をまっとうしようと思ったし。私の家内は28で花卉栽培を始めて、彼女の人生の当面の的を決めたし。長男の嫁さんも埼玉から高知へ嫁いで来て、一児をもうけたし。埼玉から高知、知り合いは0。ほんと、一大決心だったと思う。 三十というのは、人生の一つの踏み切り台であるようには思う。 長男の嫁さんの誕生日を、息子どもと一緒に祝うというのもいいものだ。こういう機会を醸し出してくれる彼女に感謝もするし、今後の彼女の人生が而立(しこうして立つ)ことを望む。 長男晃平頑張れよ。君のお父ちゃんが、君のお母ちゃんにしたように。 |
立止考 |
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2007年08月15日
今日は八月十五日。六十二年目の終戦記念日だ。 |
仁ノ村最南途の小屋 |
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2007年08月14日
仁ノ村最南の途に、おもしろい小屋を二つ見つけた。 ![]() もう一つは南側にある。 ![]() 小屋に立て掛けられた三本の丸太の、立てられ方がいい。これも絵になる。 この途はイメージとしては、浜辺に通ずる道だ。この途を抜けると、突然視界に潮さい香る真っ青な海辺が広がると言う感じだ。いいねえ。 |
仁ノ村最南の途・続 |
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2007年08月12日
今日紹介するのは、「仁ノ村最南の途」を東側から写した写真だ。 ![]() この途の両側には温床と小屋がある。なかなか風情があるので次の機会に紹介しよう。 さらに西に進んで、西方向を写す。 ![]() 空の青さがたまらない。堤から北側の仁ノ村とはまた別世界だ。 |
仁ノ村最南の途 |
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2007年08月10日
今日は一日中、夏の青空が広がった。午前中は青空が見えても、午後になると雲が出て来るというのが最近の傾向だった。それで幾度となく撮影に行くのを中止した。 ![]() この「みち」を少し入る。 ![]() この「みち」は仁ノ村の他の「みち」とは随分違う。写真だけでは分からないが、まず車の音がうるさい。他の「みち」の静寂さとはかけ離れている。直ぐそばを県道が走るからだ。トラックの音が凄い。それと、人手が未だかかってない、未開拓地という感がある。 私としては、土佐犬ジョンとの散歩で初めてこの「みち」を歩いた。ジョンがいなければ、この「みち」は通ることはなかったように思う。 西から入ってくると、外輪別堤に突き当たって終わるからタイトルは「途(みち)」にした。 |
07レインリリー |
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2007年08月07日
堤の東入り口に、レインリリーの一群がまた綺麗に咲いた。 ![]() 他の場所では、レインリリーが昨年から急に姿を消した。理由は分からない。ちょっと寂しい。 花を例によってアップで写しておこう。レインリリーはピンクの色が美しい。 ![]() 8月の声を聞くと途端に、自然界の生命活動が沈静化し始める感がある。燕が二度目の子育てをあきらめたのか、雛が二羽巣の下に落ちていた。堤の側溝の水も極端に少なくなり、アメンボウも窮屈そうに水面で押し合いへし合いしている。桜の葉っぱも黄色が目立つようになり、緑であっても葉が縮こまって来ている。 |
飛陽夕涼み会 |
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2007年08月05日
昨日は飛陽の初めての夕涼み会だった。本当は7月だったが、台風の為に延期になった。 ![]() ![]() お提灯とか読み聞かせの会で忙しく、しばらく飛陽と会ってなかった。そしたら随分と変わっていたのでびっくりした。5月24日の「初参観日」、6月1日の遅ればせながらの「お節句」の頃に比べると、表情も動きも激変している。 とにかくよく動き回るのに驚く。それと二、三日前からゲームに興味を持ち出したと言う。確かに三男昌平の膝に座って、必死で画面を見つめている。う~ん、凄い。子供って未だ意味が分からないはずなのに、ゲームの何処に興味を持つのだろう。不思議だ。聞いてみたい。 走るのにも驚いた。また、保育園では名前を呼ばれたら返事をする練習をするとのこと。「松崎飛陽(とあ)くん」と呼ぶと、「はい」と言って手を上げるのがまたかわいい。 現在よく言う言葉は「ぶどう」と「あちい」。 飛陽のマイブームは、これまた保育園で覚えた「しゃぼん玉」。自分でも膨らませて喜んでいる。 赤ちゃんの月齢別発達プロセス表を見てみると、一歳半が一つの大きな節目になっているようだ。それまでは、どちらかというと内部の成長だ。一歳半を過ぎると、外に向かって成長して行くようだ。 走る、ドアを開ける、階段を上がる、ボールを投げる、音を聞き分ける、音楽に合わせて体を揺する、大人の真似をする等々。 一歳十ヶ月でジャンプするとある。期待しよう。 二歳になると曲線・円が書け、積み木を沢山積め、「これ何?」の質問攻め始まるとある。これまた期待しよう。 今日、長男に問われた。「お父ちゃん、僕らと何か遊んでくれた?」。正直、私は自分の子供とは全く遊んでいない。彼らが思春期の時も、全く看ていない。この時は、土佐犬ジョンを看るのに必死でありました。今こうして考えると、全く父親してないなあ。変な父さんでした。それにしても、息子三人が三人共に、よく健全に育ってくれました。はい。これも家内とご先祖様のお蔭です。 |
07浜観音様お提灯 |
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2007年08月02日
台風5号が来るというので、朝6時半には幟を降ろした。前のあっちゃん、息子ども、それと家内で降ろした。今回は抜かりがなかった。はっはっはっはっ。まっ、そうえらがることもないけれど。 ![]() ![]() 浜が違うのは、ろうそくではなく電気で点灯することだ。赤い提灯があるのは今回初めて知った。結構カラフルだ。提灯の数は全部で97個。距離にして150mほどだろうか。なかなかのものだ。 今回本村、浜のお提灯を取材してつくづく思った。自分の子供の頃の行動半径の狭いこと、狭いこと。半径が約250mの範囲に納まっている。 本村も浜も共に、直線距離にして600m余り離れている。子供の頃は確かに、本村は隣町、浜は隣村だった。これは大袈裟な表現ではない。以前にも書いたが、私の祖父の代まではこの仁ノ村内での結婚が普通だった訳だから。吾が家で言うと、私の母が村外から嫁いで来た最初の女性だ。 |
07本村観音様続 |
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2007年08月01日
今朝大ちょんぼをしてしまった。 ![]() ![]() 本村の観音様のお提灯は、本村を構成する三つの集落が役割分担をしている。集落「北」が観音堂、「中」が北の道、「南」が南の道の提灯を管理している。 昨日も書いたが、生まれて初めて見る光景だ。ある種、感動を持って写真撮影している。 |
































