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2007年06月 | メイン
判明スズメバチ

昨日、軒下を見て仰天。あの徳利を逆さにしたような蜂の巣が、何とスズメバチの巣に激変だ。やっぱりスズメバチだったんだ。濃く弧を描いた模様が異様だ。未だ作ったばかりで湿っているからだ。

スズメバチ
実は5月17日に「蜂の巣」をブログした時は、始末するつもりだった。しかし、正体を突き止めたくて結局そのままにしていた。やはり、あの逆さ徳利が核になっているんだ。結構複雑な構造をしている訳だ。俄然尊敬。まっ、そんな悠長なことを言っている状況ではないかもしれないが。
この写真は午前9時25分、ほぼ四時間後の午後1時20分には次のようになっていた。
スズメバチ
正面の模様がかなり変わっている。いよいよ働き者だ。ここでも思わず感心。
それにしても、模様はつくづくおどろおどろしいと思う。作っている本人達は、色といい、模様といい、形といい、惚れぼれしているに違いない。美意識はかくも違うものか。
二匹同時に見るのは初めてだ。中に未だ居るのだろか。夫婦かな。
さあて、今度こそどうするか。家族だけなら問題ないだろうが、お客さんが来るからなあ。蜂はきっと違いを認識すると思う。いつもと行動パターンが違う人間が居ると。挙動不審人物発見、要注意と!!

日時: 2007年06月30日 | 動物 | | コメント (0)

 
消え行く小屋

通りがかって驚いた。2006年11月5日のブログ「村最大小屋」で紹介した小屋が,解体され始めていた。

小屋解体
土佐犬ジョンとの思い出がある小屋なのでかなりショック!ジョンはここでよく休んだ。体が大きかったから、大きいこの小屋がお気に入りだったに違いない。おおよそだが長さ11m、幅4m、高さ3mだ。
休んだと言うよりは、ジョンは疲れてもう動こうとはしなかった。仕方がないからジョンを小屋につないで、私は家まで走って帰り、軽四に乗って迎えに戻って来た。これが毎朝繰り返された。ジョンの前足を荷台に掛けさせ、お腰をよっこいしょと押し上げる。彼は満足げな体で車が動くのを待つ。これがお決まりのパターンだった。
しかし或る雨上がりの日、小屋の前の土が予想以上にぬかるんでいて、車がスリップして動けなくなった。どんな風にして脱出したか覚えてないが、そんなこともあった。
ビワの木もどうなるかわからないから、写しておこう。
ビワ
ビワの右隣に、ブドウが二房垂れているのを覚えておいてもらおう。
思い出の風景が亡くなるのは哀しい。ジョンと共有した思い出が亡くなるのは、更にさらに哀しい。でもこうして思い出の一つひとつが確実に、正確に消えて行くんだ。時の為せる技だ。

日時: 2007年06月28日 | 小屋 | | コメント (0)

 
小松沼東

今日は東の小松沼だ。こちらの方がメインだ。東西の長さ約550m、南北の幅約150mだ。
撮影地点は先日のブログ「小松沼西」と同じ。単に振り返って写したに過ぎない。
「小松沼西」は東方向から西向きに写している。今日の「小松沼東」は、沼の西方向から東向いて写している。

小松沼
少し北に寄って写す。
小松沼

子供時代の小松沼の記憶はほとんどない。鯔(ボラ)が獲れて食べたことぐらいだ。それと、祖父と一緒に一度だけ沼に来たことを覚えている。その記憶の画面にはうちの舟がある。しかし、乗ったかどうかは覚えてない。
小松沼は地震による沈下で沼化されたものだ。安政元年(1854年12月24日)の南海地震には、3mばかり土地が陥没したらしい。宝永四年(1707年10月28日)の南海地震では、津波が山近くまで押し寄せ、仁ノ村の三分の二が浸水したと言われている。
宝永の地震は日本最大級の地震の一つだ。この巨大地震は400年サイクルで来ていると言う。そうすると、今度の南海地震はそれに当たることになる。おっそろしっ!宝永地震の時、宇佐で400余名、須崎で300余名流死している。種崎は全滅で死者400余名。種崎、宇佐共に20m級の津波が押し寄せている。

日時: 2007年06月26日 | 海・河 | | コメント (0)

 
小松沼西

仁ノ村の西端の三叉路の話を進めていたら、その南から東に向かって広がる小松沼が気になりだした。
多分六月が小松沼は一番美しいのではないだろうか。湛える水だけでなく、周りの緑が濃く輝くからだ。
浜から西端三叉路に堤防(「外輪堤」と言う)が伸びている。これにより、小松沼は東西に二分されている。東の方が倍ほどの広さがある。撮影地点は外輪堤を浜から少し北に進み、小松沼が見渡せるようになった所だ。

小松沼
実は、小松沼はこの風景の手前半分だ。画面左三分の一程の所にビニールハウスが見える。その手前、かなり手前になるだろうか、低い堤防が画面を横に走っている。これを外輪別堤と言う。これから西向こうは畑になる。それが次だ。
外輪別堤西
これの撮影地点は、外輪別堤と西端三叉路の中程だ。
画面左端に、宇佐向いて仁淀川大橋が架かっている。画面右の白色建物が消防屯所だ。その左手が八幡様だ。

日時: 2007年06月24日 | 海・河 | | コメント (0)

 
紫陽花新名所

紫陽花の新名所出現だ。場所は吾が集落「東」の西入り口から、集落内に入った直ぐの左手角だ。2005年9月5日にブログした「雨の道」の東端の北角に当たる。ここから北に将軍山への道が伸びる。

紫陽花
全部で11本だ。此処の紫陽花は四、五年前に植えられた。今年初めて身頃になった。木も若いから花びらも初々しい。あじさい園の紫陽花と違い、色がカラフルだ。
あじさい園の紫陽花は今年は全く駄目。昨年刈り込んだのが10、11月と遅過ぎた。花の付きがすこぶる悪く、まばらだ。
それでも、一つだけ綺麗なのがあったので写真に収めた。大きさは手のひらよりも小さい。
紫陽花
午前11時半の撮影だが、背景が何故か暗い。白の紫陽花に、スポットライトが当たったような不思議な写真になってしまった。
あじさい園には軽トラで行った。ヘビが恐かったからだ。案の定、山みちの入り口で1.5mはあるヤネトオシに出くわした。あじさい園でも撮り頃の紫陽花を捜していたら、ヘビに遭遇。危険を感じたので、軽トラで一目散に帰って来た。
昨年当たりから、いよいよ梅雨時にヘビが多くなった。ハメ以外は毒性はないとは言え、余り気持ちいいものではない。ヤネトオシは家の守り神という言い伝えがあるので、絶対に殺しはしない。

日時: 2007年06月22日 | 植物 | | コメント (0)

 
今年はメダカ

家内がこの16日(金)に門で何かをしていた。見てみたら水槽を二個設置していた。

メダカ
何を飼うのか聞いたら、メダカだと言う。そうか、今年はメダカか。吾が家内はこういう点、まるで永遠の少年だ。次男亮平がこのDNAをしっかりと受け継いでいる。
向かって右の水槽でメダカを飼う。左側には、亮平にエノ川でタナゴでも採ってもらって入れるという。
昨年まで飼っていたあの綺麗なフナは、エノ川に返したそうだ。
右の水槽のみを写す。
メダカ
白いほこりのような物が見えるだろうか。分かりにくいだろうが、うじゃうじゃ居る。これがメダカの赤ちゃんだ。5~7mmぐらいだ。今流行のブルーとかピンクのメダカらしい。充分に期待しよう。
亮平の鯰への挑戦は今年もあるだろうか。これは半信半疑。

日時: 2007年06月20日 | 動物 | | コメント (0)

 
07燕巣立つ

今朝、燕が巣立った。朝5時半に散歩のため庭に出た。そうすると、庭の上の空にえらい数の燕が乱舞していた。散歩から帰って来て、家内に言われて初めて気が付いた。
庭の電線に仲良く七羽が並んでいる。巣立ったばかりの燕は、左の三羽と右から二つ目だ。この右から二つ目のは如何にも小さい。痛々しいほどだ。夫婦は左の三羽の隣の二羽だと思う。じゃあ一番右端は何だと言うことになる。これは多分親戚?またまたいい加減なことを言ってしまった。正直分からない。

燕
この間も親鳥は子供に餌を運んでいた。思わず感動。美しすぎる光景だ。しかし、何で飛んでいかないんだろう?と思っていたら、一羽が未だ巣立っていなかった。
燕
去年は一番小さいのがよう飛ばなかった。今年は逆に一番大きいのがよう飛ばない。体が重た過ぎるんだ。
待ちかねて、とうとう午前9時45分には皆が飛び立った。最後になったこの燕は、やっと午後1時になって巣を飛び立った。ほっと一安心というか大安心。ばんざ~い、万歳。
去年は6月16日に五羽が巣立っている。二日しか違ってないのが凄い。二年続けて燕の巣立ちを目の当たりにできたのは、本当にラッキー!!
2006年6月16日ブログ「燕巣立つ」をご覧下さい。燕の子育てをまとめてあります。

日時: 2007年06月18日 | 動物 | | コメント (0)

 
堤西端へ更に

6月8日ブログ「堤西端東側」の画面を更に西に進む。堤の拡張工事が済んでいるところまで来て写す。
最初の写真は昨年2006年4月7日のもの。二枚目は今年2007年5月21日のもの。共に撮影時刻はお昼の12時前後だ。

堤西端東側

堤西端東側

このアングルは絵になるような風景でもないし、少年時代の記憶にも全くない。記録として残して置く為に、一連の風景の一区画として写したに過ぎない。
画面に見える桜は二本だが、写真奥の電柱の向こう側にもう一本桜がある。6月8日ブログの一番手前の桜と同様、今日の写真の一番手前の桜もアップはこの写真一枚だけだ。
手前左手に見えるセメントの構造物の名前は知らない。ここから水が出てくる。土佐犬ジョンはここでよく水を飲んだ。雷魚を初めて見たのも此処だった。
次回は、この風景から更に西端に歩みを進める。

日時: 2007年06月16日 | みち | | コメント (0)

 
堤西端南側

今日は堤西端を南側から写す。写真はほぼ同じアングルからの二枚だ。上が5月21日、下が6月11日だ。

堤西端南側

堤西端南側
このアングルで切り取った風景は和む。私の好きな風景の一つだ。二枚の内、どちらかと言うと上の方が好みだ。田んぼがやはり五角形に写った方がいい。今度から気を付けよう。二枚をこうして比べてみると、上の五月の方が山が黄色っぽい。下の六月の山は緑がきっぱりと濃い。今年の緑は見事だ。六月の写真の左側に赤く見えるのは「つつじ」だ。
小屋が二つ見える。田んぼの縁にある小さいのと、黒のトタン張りの大きいのだ。もっと正確に言うと、この大きいのの左側に、少し小さい小屋がある。
みちの説明をしておこう。画面右手に堤防を進むと浜へ、左手に行くと八幡様に到る。正面に見えるのが桜の樹で、その直ぐ左手のみちを画面奥に進むと本村の十字路に到る。
こうして書いていて気が付いた。このアングルからの桜の花が咲いた時の写真がない。残念。さあ、今年の工事はどう進むのだろう。できるなら、このアングルからの桜の花を写しておきたい。

日時: 2007年06月14日 | みち | | コメント (0)

 
おごろもち風車

吾が集落から間(はざま)に行く途中に、おもしろい畑が出現した。
ペットボトルで作った風車が林立りんりつ。まるで透明のトンボのよう。さわやかな夏の風物詩と言った風情だ。

風車
ブログする為、一応数を確認した。20~30個と思っていたら、な、何と57個。凄い!
吾が村には風流な人も居るなあと思っていたら、これが「おごろもち」対策とのこと。写真を撮っていたら、製作者と偶然遭遇して訳が聞けた。
「おごろもち」とはモグラのこと。もうこんな言葉、長いこと聞いたことがなかった。そう言えば、子供の頃は「おごろ、おごろ」とよく言っていた。
何故この風車が「おごろもち」対策になるか。それは、風車が回る振動が竹を伝って地面に到り、モグラを追い出すのだと言う。モグラはミミズを餌にすると言う。これも初めて知った。確かに此処の畑は肥えているようだ。モグラの通った盛り上がりがあちこちに見える。
風車をアップで写しておこう。
風車
透明だから、鮮明には写らないだろうと思っていた。そしたら、この出来栄え。う~ん、満足。何でもやって見るものだ。
モグラは漢字も別称もおもしろい。
漢字は土竜。これは当て字としては超素晴らしい。只何で竜を使うか、その理由が皆目理解不能。竜のイメージとしては、とてつもなくでかいのだから。
別称:田鼠(でんそ)、むぐら、うぐら、もぐらもち、うごろもち。これは広辞苑で調べたもの。「おごろ」とか「おごろもち」というのは、土佐特有なのだろうか。
モグラの姿もないのに、カテゴリーを動物にした。今日の真の主役は、実はモグラということで。モグラの写真を撮ると言う手もあるが、その時は多分死んでるものね。作物に害を与えるが、憎めないかわいらしい格好をしているし、かわいそう。モグラは幾度か見たことはあるが、決まって死んでいた。
それにしても何で、寄りによって地中生活を選択したのだろう。ミミズがはた迷惑、いやそんな問題じゃない、死活問題だ。
ちょっと待て!モグラって地震には敏感ではないだろうか。これは調べてみる価値があるぞ。

日時: 2007年06月12日 | 動物 | | コメント (0)

 
迷路一枚

昨日は文庫の鼻まで帰って来ると、空に稲妻が走るのが見えた。家に入るや否や、強い風と雨。追い討ちを掛けるように雹(ひょう)と雷。私は雷が大嫌いだ。嫌々大嫌いとかいうレベルではなく、本当に恐ろしい。小学生の頃、裏の電信柱のトランスに雷が落ちた。その時の恐ろしさがトラウマになっている。何しろ目をつぶっているのに、目の中に稲妻が走ったほどだ。
そういうことで午後8時半には寝床に着いた。気が付いてみると、明くる日の、つまり今日の午前5時!
枕元に、昨晩ブログしようと思っていた紙切れが一枚。

迷路
これ何だと思います。三男昌平が高校生の時に作った迷路です。黒い部分が道で、白い部分が壁です。一番下の真ん中にSとあるのがスタート地点、一番上の真ん中の点がゴールです。トライしてみて下さい。さすが兄弟と言うか、次男亮平はやっておりました。5分ほどでたどり着いた由。私は目がくらんで全くようしません。しかし、よく残っていたものです。
家内が迷路が好きで、息子三人に「くもん」の迷路を保育園の頃させました。三人が三人共に迷路が大好きで、大きくなっても自分で迷路を作って遊んでいました。その一つがこれと言う訳です。
幅16cm、高さ25.6cmの大きさと言うか、小ささ。でも昌平一人だけではなく、兄弟三人の少年時代の一つの金字塔でしょう。きっとね

日時: 2007年06月10日 | 昌平 | | コメント (0)

 
堤西端東側

今日は6月3日ブログ「消え行く風景」の続きだ。堤西端を東側から西向いて写す。
最初の写真は昨年2006年4月7日午前11時49分に写したもの。一番手前の桜はこれが最後の写真になった。この桜にとっては、この世の中でこれが只一枚の写真だ。

堤西端東側
次は今年2007年6月4日午前11時9分撮影の写真だ。
堤西端東側
道路拡張工事が進み、散髪をした頭のように綺麗さっぱりになった。ご覧のように、一番手前の桜が無くなっている。
昨年一応予想して撮影した。撮影しておいて本当に良かったと思う。
画面奥に車が停まっているのが見える。昨年も同じ場所に同じように停まっている。変わるものもあれば、変わらないものもある。この場合、風景は変わったけれど、人の営みは変わってない。正確に続いている。
工事はこの先、どんな風に進行していくのだろう。

日時: 2007年06月08日 | みち | | コメント (0)

 
ジンクス恐るべし

昨日、新しく借りた畑をシートで覆う作業が一段落ついた。二反半の畑の95%ほどをシート掛けした。
こうしないと雑草が生えて来て、その除去が大変な訳だ。こうして見ると、何か広くなったような気がする。本来はこれが今日のテーマになるはずだった。しかし、今回はそうはならなかった。

シート掛け
それは何故か。その話を始めよう。シート掛けが終わると、次は畑の周りの柵作りだ。杭を打って、ネットを張る。杭の穴を掘るには、ショウレンという金属の棒を使う。うちには一万円もしたショウレンがあった。しかし、それがどうしても見つからない。仕方がないので、農協で四千円のを買って来た。
買う時に私自身も思ったし、近所のおさむ君も言った。「買って来たら、出て来るんだよね」。所謂ジンクスだ。
それがまさか、一時間も経たない内に現実になるとは!本当にショック。あれだけ捜しても見つからなかったのに、家内のお母さんが畑の樹にもたれ掛かっているショウレンを見つけたのだ。その樹の前は私も、息子達もみんな通るのに気が付かなかった。錆がついて、樹の幹の色と区別がつかなくなっていた。それにしても、ジンクス恐るべし。
ショウレンと聞いて思い浮かばない方、知らない方、これがショウレンです。
ショウレン
新しく買ったのが、写真上の1m20cm、重さ4kgのもの。写真下のが、1m50cmの分からなくなっていたもの。
残念ながら、ショウレンの語源は分からない。

日時: 2007年06月05日 | 松崎農園 | | コメント (0)

 
消え行く風景

仁ノ村も田舎とはいえ、やはり変わって行く。当然消え去っていく風景もあるわけだ。
此処もその一つだと思い、撮影しておくことにした。

堤西端
こうして写すと、何のなんの、如何してどうして、なかなか風情のある風景じゃありませんか。此処は堤の西端だ。ここで堤は終わる。右手の道を手前に進んで来ると、本村の例の十字路に到る。画面右手、即ち西に進むと八幡様がある。左手には堤が東向いて伸びている。画面には桜の木が三本ある。一番左端、中程、右端がそれだ。現在では、村最大道路から西の堤の桜はこの三本だけだ。
実はここ数年来、村最大道路からこちらの方へ、道の拡張工事が進行中だ。工事は今年春、写真の丁度左端まで来た。従って、今年の冬には、この写真の風景が無くなってしまうかも知れないわけだ。
以前にも書いたが、この写真の正面あたりに、私の小学生時代には、砂利がむき出しになったセメントの建物があった。何の建物だったかは知らない。牛蛙がビブラートを効かせてうるさく鳴き、何かしら不気味な雰囲気があったことを記憶している。
この写真の右手直ぐに三叉路がある。仁ノ村には十字路は少ないが、三叉路は極めて多い。此処の三叉路はその中でも、最も見所のある一つだと思う。東方向、西方向、そして南方向から順次見て行こう。

日時: 2007年06月03日 | みち | | コメント (0)

 
飛陽お節句

今日、飛陽のお節句をした。五月は松崎農園も、長男夫婦も忙しかったので、遅くなってしまった。
お節句と言っても、庭で焼肉パーティーだ。吾が家では何かと言うと焼肉パーティーだ。牛肉だけでなく、貝も焼く。土佐犬ジョンが居た頃は、ジョンも参加した。今突然思い出した。懐かしい。
飛陽はスプーンの使い方も随分上達した。保育園で食事する姿と全く同じだ。妙に真剣なのがおかしい。

お節句
この後、余りに長く正座していたものだから、しびれをきらして泣きべそをかいてしまった。飛陽、あんたは笑わせる。
食事の後は家に入って団欒。吾が息子三人と飛陽の四人で例によって遊ぶ。大の大人が、赤ちゃんのおもちゃで赤ちゃんと一緒に遊ぶ姿が何とも創造を絶して愉快千万。吾が息子、吾が孫とはいえ、或いはそれ故に余計にか、私は不思議な光景を見ている気がする。
お節句
遊びは、遊んでいる内に使うおもちゃが変わって行く。写真は本物の携帯とおもちゃの携帯で遊んでいるところ。三男昌平が持っている青色のが、飛陽のおもちゃの携帯だ。

日時: 2007年06月01日 | 飛陽(とあ) | | コメント (0)